2020.0605 だれにも憎まれないために。
みなさん、おはようございます。
昨日はリモート環境に異常があったせいで、今日から出社する可能性が浮上したものの、意地でも復旧させたヤナマリオです。
#もう職場行きたくない
さて。
今日は、『才能があるから、尊敬される人間と憎まれる人間』をテーマにお話したいと思います。
ここでは、「才能がある」という言葉で表現していますが、僕たちは、何かとみんなより秀でいる能力を持つと、周囲から尊敬される場合と憎まれる場合の2パターンに別れると思います。
今日は、その2パターンに別れる理由と憎まれないための考え方をお話しようと思うのですが、みなさんはこの「憎まれる」というのが、生活していく上で弊害になりかねないので、避けた結果、自らで出る杭を引っ込めているのではないでしょうか。
それでは、せっかくの個性も台無しなので、これから憎まれない方法を考えていきましょう!
では、この尊敬される場合と憎まれる場合の2つを考えていきたいので、
両者それぞれを思う人間に乗り移ってみましょう。
#尊敬している人間と憎んでいる人間の心の声を聞くよ
尊敬している人間・・・
「あの人は、いつも困ってる人を助けようと、自分の能力を発揮してて、すごいな~」
憎んでいる人間・・・
「あいつは、たまたま自分に才能があるからって、ズルいな。」
尊敬している人間は、自分の身にもなることなので、想像しやすかったのですが、
憎んでいる人間は、ほとんど自分の身にないことなので、ちょっと認識が違うかもしれないですが、まあここではこんな感じにさせてください笑
こうやって、想像力を働かせて、自分のものの見方の外に出て考えてみるわかるのですが、「才能」というものを自分のために使っているのか、誰かのために使っているのかで、相手の眼差しが大きく変わるのです。
#そんな些細なことなのか
つまり、この2つのパターンにわけているのは、ギバーであるか否かに左右されるのです。
#ギバーはいつも自分の利益よりも他人の利益を最優先する人だよ
ギバーは、いつも自分の才能を他人のために使うので、自分だけでなく全員が得をするように全体のパイを大きくしています。
加えて、昨日のブログでお話した「創造力を解放したことによる弊害」の記事の解決策もこのギバーが解決してくれます。
#やはり、ギバーは神かもしれない
なぜかと言うと、ギバーは創造力を解放しても迷惑をかけない環境を自らの信用で作ることができるからです。
#ここだけは昨日の続きになるので、そちらを先にご覧ください!
これを裏付ける証拠として、心理学者のエドウィン・ホランダーの名高い論文があります。
彼によると、人がグループの中で寛大に振る舞うと、「特定人物固有信用」を得ると主張してます。これは、グループのメンバーの心に積み立てられる、相手に対する信用のことを指します。
つまり、この「特定人物固有信用」を得ることによって、規範や期待とは逸れたことをしてもよい許容範囲が広がるのです。
その結果、ちょっと大胆で挑戦的なアイデアを出したとしても、特別に認められてしまうなんてことが起こるのです。
#ふと思ったけど、ヒトラーってこうやって生まれたのかもしれません
#使い方によっては脅威的だな
ちょっと、話が逸れてしまいましたが、この「特定人物固有信用」を得ることは、相手からの印象を「尊敬」の眼差しに変えることにも当てはめられます。
つまり、ギバーとなって、自分という人間が「誰かに貢献することができる」という信用を提供することによって、自分の個性的な才能に対して「尊敬」という眼差しになるのです。
総じて僕たちが、できることとしては、
「誰かのために」「雑用を率先してやる」
僕もここはまったくもって足りない部分だと痛感していて、もっとこのブログをみなさんのお役に立てるコンテンツにしないといけないと思っています。
もしよかったら、コメント等でご指摘いただけるなら、役に立つブログにする貴重な情報として承りたいと思ってます!
#もっと役に立ちたい!
以上。