2020.0416 しあわせってなんぞや。
みなさん、おはようございます。
一昨日から2日連続で突発的な腹への激痛と下痢に見舞われて、本当にコロナ性胃腸炎っていうのあるんじゃーねかと、真剣に考え出したヤナマリオです。
#先週も1回あったんだよ
さて。
今日は「しあわせ」ってどうしたら、測定できるのかをテーマにお話ししていきたいと思います。
昨日までのお話では、「経験する自己」と「記憶する自己」の2者が存在しているという話から、「記憶する自己」を元に私たちは意思決定をしているとお話しました。
#詳しくは昨日と一昨日のブログみてね!
今回のテーマに則して、簡単に言うと、私たちは記憶上の情報を元に「しあわせ」かどうかを判断しているということなのです
今回のテーマに則して、簡単に言うと、私たちは記憶上の情報を元に「しあわせ」かどうかを判断しているということなのです。
でも、昨日までの話だと、記憶ってピークエンドの法則とか、持続性の無視が作用して、断片的な出来事しかスコープされてないんです。。
つまり、そもそも「しあわせ」かどうかの質問に対して判断材料を間違えているんじゃないかって話になりそうなんです。
#シチュー粉でカレーは作れないからさ〜
じゃあ、判断材料を間違わないように、「経験する自己」を発動させて、あらゆる出来事に対して、逐一、評価を下して、統計的に考える必要があるんだな!
でも、待って待って。
「しあわせ」って考えるものじゃなくて、感じ
るものじゃない??
#急に名言登場
いま、私たちは経験を元に的確に判断しようとしたけど、それだとなんか納得できないからやっぱり記憶を元に判断するべきじゃねーかと迷走してしまっているわけです。
#「結局、なにを信じればいいの!??」
結局のところ、「経験する自己」と「記憶する自己」のどちらが重要なのかは哲学者でも頭を悩ますテーマのひとつみたいですね。
なにはともあれ、ひとまず、現状を整理すると、私たちは「記憶する自己」で幸福度を判断しているものの、実際は、人生の断片的な情報だけで「しあわせ」かとうかを判断しているということになるのです。
もう、どうしようもないってことなのか。
結局、幸福ってなんなんだよ。。。
#私自身も今この状態
そんな時に出会った本が、
『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』
ぶっちゃけ、私もこの本を読み追えてませんが、これから一緒に「しあわせ」について考えていきましょう!!
あ、ちなみに、今までのお話を題材にした本も貼っときます。
興味あったら読んでみてください!
以上。