2020.0619 人助けしている人に偽善者とか言うのは論外。

 みなさん、おはようございます。

朝起きるのが、つらいと感じるのは、モーニングルーティンが意味のないことをしていたからだと気づいたヤナマリオです。

#外出しないのに毎朝、髪を濡らしてた

#寝起きの良し悪しはモチベーションが左右する説

 

さて。

今日は、『人助けは相手のためだけにすることなのか』というテーマでお話したいと思います。

 

僕たちは、「人助け」というのを自分の身を削って行うことだとして、その結果、いつしか他人のためだけに行うものだと考えるようになりました。

なので、「人助け」をする時に、自分の利益が少しでも表に出てしまうと、

 

「こいつは偽善者だ!」

「自分のために人助けしている!」

などとアンチコメントする人間が湧き出たりします。

 

つまり、「人助け」というのは「利他的」に行動しなければいけないものだと思われています。

#それを美徳とさえ感じてしまう

 

では、そもそも「人助け」しようと思う人間の心理はどこから来ているのでしょうか。

そこを考えれば、「人助け」をする意味というのも見えてくるかもしれません。

#身を粉にして「人助け」をすることだけが正義なのか

 

この「人助け」をする根本が、「利他的」なものなのか「利己的」なものなのかを40年にわたって意見を戦わせてきた二人の名高い心理学者の考えを対立させながら、考えていきましょう。

#人助けを「利他的」だとするダニエル・バトソン

#人助けを「利己的」だとするロバート・チャルディーニ

 

(ダニエル・バトソン)

「人は困っている誰かに共感を覚えると、心から無私無欲に与える。」

 

(ロバート・チャルディーニ)

「私たちが共感から人助けをするのは、相手に得をさせたいからではない。困っている人を見ると、苦しみや悲しみ、後ろめたさを感じるそのネガティブな気持ちを和らげるために、人助けをしているのだ。」

 

(ダニエル・バトソン)

「ネガティブな気持ちを和らげるために人助けをすることもあるが、それが全てではない。ネガティブな気持ちを和らげるために見て見ぬ振りをする場合だってある。」

 

(ロバート・チャルディーニ)

「私たちが人助けをする理由は、困っている相手を自己意識に同化させ、相手の中に自分自身を見出しているのだ。だから、実際には、自分自身を助けているのだ。」

 

(ダニエル・バトソン)

「他人に共感すると、相手のことを自分自身と同じくらい思いやるので、自分の利益を他人の利益を重視しなくなる。だから、助けることは純粋に利他主義ではないか。」

 

こんな感じで、意見がぶつかって、このあとは膠着状態が続いたみたいですが、

どちらも、相手への共感が「人助け」をさせているのは、同意しています。

しかし、それが、「利他的」か「利己的」かで根本的に意見が食い違っている。

 

三者面からこの論争を見ていると、

 

「結局、相手の痛みを共感して、人助けしているんだからどっちでもよくね?」

って思ってしまうのは僕だけでしょうか笑

 

 

実際に、人助けをして、相手に利益を与えているのも事実だし、それで相手から感謝されて、自分の利益にもなっているのは事実ですよね。

そして、感謝されたからまたやろうと思うのも事実。

 

今日お伝えしたかった点はここで、

「人助け」をするときは、たいてい、相手に得をさせたいという欲求と、自分自身も得をしたいという欲求が複雑に混ざり合っているということです。

#深層心理では、自分も得をしようとしているのです

 

だから、「人助け」は相手のためだけにするのではなく、自分自身も得したいからやっているわけで、双方がwinwinの関係で実現しているということです。

 

深層心理では、自分も得しようとしていると思うと、別に偽善かどうかなんて、どうでもいいってことですね。

#相手を助けていることだけが事実だ!

 

以上。